羽生結弦選手の金メダルすごかったですね。(ちょっと旬は過ぎてしましましたが。。。)普段スポーツを全く観戦しない私も、テレビに見入ってしまいました。演技が終わると選手とコーチはカメラの前で得点の報告を受けます。通常、選手は2人のコーチ(関係者?)に挟まれて3人でカメラに映るのですが、フリースケーティング(FS)の演技を終了した羽生結弦選手の場合は、3人ではなく2人でカメラに写っていました。実は羽生結弦選手のコーチであるBrian Orserは、次の順番で滑走し銅メダルを獲得したハビエル・フェルナンデス選手のコーチでもあり、そちらにアテンドしていたのですね。実はBrian Orserは、2010年のオリンピックで金メダルを獲得したキム・ヨナ選手のコーチでもありました。

羽生結弦選手もハビエル・フェルナンデス選手のどちらも、高い身体能力を持つ逸材であることに間違いはありません。このような個人の資質は前提にしつつも、実はそれ以上に「どのようにしてこうした選手を輩出することができたのか?」という、選手を生み出すスケートコーチ陣に興味が生まれます。

例えば、羽生結弦選手やハビエル・フェルナンデス選手が優れた「作品」であると考えると、Brian Orserとコーチ陣はその作品を作り上げる「組織」と見なすことができます。つまり、

羽生結弦選手・ハビエル・フェルナンデス選手 → 優れた建築作品
Brian Orserとコーチ陣 → 建築設計組織

と置き換えて考えた場合、どのようなことが言えるのでしょうか?

Toronto Cricket Skating and Curling Club

Brian Orserは、1984年サラエボオリンピックおよび1988年カルガリーオリンピックの銀メダリストで、カナダを代表する有名なアイス・スケーターでした。現在はTracy Wilson.
とともに、トロント・クリケット・スケート・カーリングクラブ(Toronto Cricket Skating and Curling Club)における、ヘッド・インストラクターの職に就いています。ちなみにTracy Wilsonは、1988年カルガリーオリンピックの銅メダリストです。すごい布陣ですね。。。

トロント・クリケット・スケート・カーリングクラブは1827年に設立された老舗のスポーツクラブで、水泳・クリケット・クロッケー・カーリング・フィットネス・ローンボーリング・スケート・スカッシュ・テニスといった様々なスポーツができる環境とともに、子供のデイケアや様々なイベントを行う、スポーツクラブです。

Toronto Cricket Skating and Curling Club (Google Mapより)

芝生やテニスコートが見えます。トロントの市街地にあるスポーツ施設のようですね。ちなみにPrecedent Magazineの記事によると、大人(35歳から59歳)一人当たり入会金は$19,800で、年会費$2,570だそうです。日本の一般的なスポーツクラブよりはるかに高いですね。オリンピックの選手を育てる特殊施設というよりは、トロントに根差した地域の社交場といったところでしょうか?ここで、どのような組織によってスケート選手の育成が行われているのでしょうか。

スケートコーチ陣の編成はどのようになっているのか?

どのようなスケートコーチ陣なのか、わかる範囲で調べてみました。(私自身、スケートは全く門外漢です。誤った情報が書かれている場合は、是非ご指摘してください。。。)まずは2013/2014のシーズン中に行われたBrian Orserへのインタビュー記事があったので、その一部の和訳です。

Q) 今回の成功の秘訣は何ですか?
A) とても良いチームに恵まれたことかな。一人だけではできないことだからね。まずTracy Willsonが素晴らしい働きをしてくれている。私が遠征で不在の時には、彼女がハビエルや結弦のコーチをしているんだ。また、振付師(choreographers)のDavid WillsonとJeff Buttleは、いつも多くのスケーターに振付を指導している。(以下略)

Q) 競技会のために遠征するので、不在となっていることが多いと思います。Tracy Willsonの他には誰かいるのですか?
A) Paige Aistropがいるよ。彼女はスピン(spins)を仕上げるのがうまいんだ。各選手のレベルをよく理解するばかりでなく、どのようなポジションでいかにスピンすると良いのか各選手にあわせて教えることができる。(以下略)(Figureskating-onlineウェブサイトより)

各シーズンによって異なると思いますが、Brian Orserのチームには、少なくとも、もう一人のヘッドコーチとともに、振付師やスピン専門に教えるコーチがいるようですね。Brian Orserだけでなく、チームによってスケートの指導をしていることを強調しているのが印象的です。

次に2016年3月25日の記事の和訳です。

OrserとWilsonがクリケットクラブのコーチとして就任した時点から現在まで残っているコーチは、ナム・ニューエン選手のプライマリー・コーチのErnest Pryhitkaだけですね。ほかには4人のコーチがいます。Ghislain Briand (ソニア・ラフエンテ選手とハビエル・ラジャ選手のプライマリーコーチ) 、Lee Barkell (ガブリエル・デールマン選手、リュボーフィ・イリュシェチキナ選手、ディラン・モスコビッチ選手のコーチ)、Andrew Hallam (ストローキング、スケーティング技術、ステップ)、Paige Aistrop (スピン)です。
Where champions train: The rise of the Cricket Club
Orser, Wilson team up in Toronto to groom sport’s best over past decade(icenetworkの記事より)

この記事ではもう少しコーチ編成の様子が細かく書かれていました。Brian OrserとTracy Willsonをトップとして、各選手に主担当のコーチがつき、さらにスケーティング専門のコーチと、スピン専門のコーチがいるようですね。因みに、羽生結弦選手がフリープログラム演技終了後隣に映っていた男性は、この4人のコーチの一人Ghislain Briandです。

次に2018年2月13日に現地でおこなれた記者会見では、羽生結弦選手は以下のように答えています。

Q) ブライアン・オーサーコーチは、早めに韓国入りされていましたが、その間トロントではどのようなコーチとどのような練習をされていたか教えてください。
A) クラブにはたくさんの先生がいるので、まずTracyコーチとスケーティングの練習もしっかりやりましたし、Ghislainコーチがずっと一緒にいてくれたのでジャンプのフォームや感覚を重点的に練習していました。(記者会見の様子 NHKウェブサイトより)

日本語の記事では、Orserコーチが不在の中、Ghislain Briandコーチが映っていたことに関して、様々な憶測やゴシップがあるようでしたが、単に主担当のコーチがGhislain Briandだったということなのではないでしょうか。右足首を痛めた羽生結弦選手に対して、(ジャンプ専門のコーチではなく)主担当のコーチとしてジャンプを中心に指導していたのかもしれません(憶測です)。

最後に、2018年2月15日のインタビューでのBrian Orserのコメントの和訳です。

人はいままで「ジャンプ_ジャンプ_-ジャンプ、振付_振付、息継ぎ_息継ぎ_息継ぎ、ジャンプ_ジャンプ_-ジャンプ」として考えてきたんだ。テニスの試合のようだね。ジャンプ_振付_ジャンプ_ジャンプ_振付。言っている意味が分かるかな?それらは全てばらばらで、うまく統合(woven together)されていないんだ。(inside skatingの記事より)

たくさんのコーチがそれぞれ専門領域に分かれて選手を指導します。各専門に分かれているので、効率的に専門分野を伸ばすことが可能となります。しかし専門部分に集中してばらばらに訓練しても、それを総合的にとらえて統合する役割の人がいるわけですね。それがBrian Orser(またはTracy Willson)であるわけです。ある意味「分業に基づく協業」が大変適切に機能しているといえるでしょう。

一方日本ではどのようになっているのでしょうか?どうやら振付師(choreographers)を外部の専門家として依頼したり、その他の専門家にスポットでお願いすることはあっても、主に専属のコーチが指導を行っているようです。日本では、純粋に金銭的事情からそれぞれの専門家を雇うことが難しいのかもしれませんが、それ以上に日本と北米の社会制度的な違いがあるのではないかと考えています。というのも、実は、このアイススケートコーチ陣の分業体制は、アメリカと日本の組織設計体制を比べた結果に非常に似ているからなのです。

日米意匠設計チームの比較

以前、日本の組織設計事務所とアメリカの組織設計事務所の比較をしたことがありました。建築設計組織の分業体制を比較した論文です。(組織設計事務所における設計分業体制に関する基本的考察, 日本建築学会計画系論文集, 2016.4

ある一定規模以上の建築の設計は一人で行うことはできません。このような建築プロジェクトでは、意匠設計チーム、構造設計チーム、設備設計チームなどの設計チームが集まり、「設計組織」を編成します。下の図で示された「意匠設計チーム」は、意匠設計の専門性を持つ設計者が集まって編成されるチームとなります。この「意匠設計チーム」の各メンバーが、一つのプロジェクトに対してどのように関与するかを日米で比較調査しました。

設計組織と設計チームの関係

建築プロジェクトにおける設計工程は、いくつかの段階に分かれます。いろいろな考え方がありますが、この調査では、米国では、Schematic Design(SD)、Design Development(DD)、Construction Document(CD)、Cosntruction Administration(CA)と4段階で工程が進むのに対して、日本では、基本設計、実施設計、設計監理と3段階で工程が進むとしました。米国では4社の組織設計事務所から計5プロジェクト事例について、日本では4社の組織設計事務所から計8プロジェクト事例について、意匠設計チームの設計者が、いつどの程度の期間設計業務を行ったか調査票による質疑を行いました。

何をもって「意匠設計チーム」とするか、線引きはとてもむずかしいです。この調査では組織設計事務所に属する意匠設計チーム内においてほぼ専属で建築プロジェクトの設計業務に従事する人々、つまり米国においてはProject ManagerやProject Architectを中心として建築家資格を持つチームを、日本においては設計室長を中心として建築士資格を持つ意匠設計者から編成されるチームを意匠設計チームとしました。専門職としての設計者を前提としたので、CADオペレータは含まれていません。

米国の意匠設計チームでは?

米国における調査結果を示します。縦軸には一建築プロジェクト当たりの意匠設計チーム内意匠設計者(専門職)数の平均値を、横軸には設計工程を記載しました。また、各専門職のプロジェクトへの関与状況については色分けによって分類表記しました。

米国の意匠設計チームの分業体制

米国では、一定数の意匠設計者がSDからCAまでを通じて(SD,DD,CD,CA)担当しつつ、設計業務のみ(SD,DD,CD)担当する者、設計業務の前半のみ(SD,DD)担当する者、設計業務の後半のみ(DD,CD)担当する者が、必要に応じてプロジェクトに参加することが分かりました。特に、プロジェクト概要決定等の設計業務前半における基本設計的業務と、構工法的詳細検討等の設計業務後半における実施設計的業務に分かれる傾向があることを確認しました。

私自身がNYの組織設計事務所(Pei Cobb Freed and Partners, LLP)に勤務していた時に担当していたプロジェクトでは、カーテンウォール専門の設計者、インテリア専門の設計者、外構専門の設計者といった専門家がいて、Project ArchitectまたはJob Captainと呼ばれる設計者がこれらの設計情報を統括していました。専門家たちは必要な設計段階のみプロジェクトに参加して、いくつものプロジェクトをかけもちしていました。

この状況は、まさにカナダのスケートコーチ陣が、Brian OrserとTracy Wilson.がヘッドコーチ(建築で言うとProject ManagerやProject Architect)として存在し、その下に主担当のコーチ(建築で言うとJob Captain)がいて、さらに、振付師、スケーティング技術、スピンといった専門のコーチ(建築で言うと、カーテンウォール、インテリア、外構専門の設計者)が必要に応じて、スケート選手の育成に参加している状況にとても似ています。似たような分業構造が建築の意匠設計チームとスケートコーチ陣に見られるということは、実は社会システムとして、このように分業することが前提となっているといえるのではないでしょうか。

分業構造とは話が少しずれますが、選手の自主性が常に尊重され「あなたはどうしたいのか?」ということを頻繁に聞かれるようです。一方的に選手がコーチの「指導」を受けるのではなく、まず選手の意志を尊重した上で、コーチが選手の適正に応じて指導していく姿は望ましいですね。

日本の意匠設計チームでは?

日本における調査結果を示します。縦軸には一建築プロジェクト当たりの意匠設計チーム内意匠設計者(専門職)数の平均値を、横軸には設計工程を記載しました。また、各専門職のプロジェクトへの関与状況については色分けによって分類表記しました。

日本の意匠設計チームの分業体制

一方日本では、設計業務のみ(基本設計、実施設計)を担当する者が一定少数存在するものの、一定数の意匠設計者によって意匠設計チームが編成され、最初から最後まで一貫してプロジェクトを担当する傾向が強いことが分かりました。さらに、意匠設計者はその時々に応じて多様なタスクを担うことによって「多能工的」に設計業務にあたると言ます。1プロジェクトを除いては、設計段階(基本設計、実施設計)の途中で設計チームに新たな専門職が配属される事例は確認することができませんでした。

いったん設計チームが機能し始めると、阿吽の呼吸でスムーズに仕事が回ります。効率的でハイレベルな仕事ができるのですが、ノウハウが人についている(sticky information)ため、部分的に仕事を切り分けて他人と作業することが難しくなります。

今回日本のスケートコーチ陣について調べるには至りませんでしたが、カナダの例ほどは分業化が進んでいないのではないでしょうか。つまり、一人の専属コーチが、振付、スケーティング、スピンなど全てをまとめて教えるということです。ひとりのコーチの「暗黙知」にゆだねられ、タスクを切り分けて指導することができないため、大人数を担当することができません(あくまでも仮説です)。もし状況をご存知の方がいれば、是非実態を教えてください。。。

まとめ

意匠設計チーム内の設計分業体制において、米国では、意匠設計者は細分化された業務に限られた期間携わる傾向が認められるのに対して、日本では、割り当てられたプロジェクトに一貫してに従事する傾向があることが分かりました。カナダのスケートコーチのチーム編成でも、米国の意匠設計チームと似たような状況を確認しました。

人がどのようにタスクを切り分けるか(分業するか)については、社会システムに大きく依存すると考えられます。それが、建築設計とスケート指導という全く異なる分野にも明確に表れているのだと思います。組織編制(または人のものの考え方)にまで影響を与える社会システムって面白いですね。

日本の組織設計事務所と総合工事業者(ゼネコン)設計部との設計プロセスの比較について には、日本ならではの分業体制の違いについて書きました。よろしければご覧ください。