住まい手が「自分の空間」であると感じるのはどのような状況なのでしょうか。チェックインしてホテルの部屋に入っても「自分の空間」とはなかなか感じることはできません。チェックアウトすれば、自分以外の別の誰かのための空間になってしまうのですから。
初めて賃貸住宅の部屋を借り、鍵を開けて何もない部屋に入ったときは、まだ「自分の空間」ではありません。がらんとした部屋は何かよそよそしく、何となく落ち着きません。電気・水道・ガスの手配をして、自分の荷物を運びこんだ時から、徐々に「自分の空間」に変わっていきます。
注文住宅の場合はどうでしょうか。間取りを前提にパースを見ながら想像を膨らませますが、それでも入居したばかりの時は「自分の空間」ではありません。設計者や施工者によって、自分の納得する建物が出来上がったとしても、「自分の空間」として愛着を持つに至るには、まだまだ時間が必要です。
住まいが単なる消費財ではなく「自分の空間」になるには「自分の手あかが住宅に刻み込まれること」が重要なのではないかと考えます。
ポートランドにおけるDIY文化
米国にはもともと、ヨーロッパ系移民が入植して成立してきた歴史的背景があります。広い国土を開拓していく途上では、建材・工具・職人が乏しい中でも、セルフビルドによって住宅を確保しなければなりません。このように住まい手が自分の手によって「自分の空間」を作ってきた経緯があることは、米国でDIYの文化が広く浸透している理由の一つだと考えます。開拓が終わった現在でも、自分で自分の住宅に手を入れて、修繕・改修することは、きわめて一般的です。ケーブルテレビでは、HGTV (Home and Gardening Television)といったチャンネルもあり、娯楽の一つになっています。
米国、とりわけオレゴン州ポートランドにはクラフトの文化が根ざしており、DIY意識が高い人が多く住んでいる印象を持っています。こうした人々は、自分の趣味の小物を作るばかりでなく、自分で机や椅子や棚などを作り、壁のペンキを塗り替え、タイルを張ります。時によっては、自分で配線したり、水栓金具を付け替えたりもします。
日本では、電気工事や配管工事は、免許を持っている技術者でないと施工してはいけません。米国において、電気工事や配管工事を一般人が行うことが不法かどうかまではよくわかりませんが、電気工事や配管工事に関する情報を得て、自分で施工する人が数多くいます。例えば、Home Depot(ホーム・デポ)では、電気工事や配管工事に関する初心者向けの分かりやすいガイドブックを販売していました。
このようにして住まい手は、自分で手を加えることにより「自分の空間」を充実させていきます。プロのクラフトマンが製作するほど綺麗にできていないかもしれませんが、自分の手によってできた小物や家具によって彩られた空間は、世界に二つとない「自分の空間」です。
プロでないDIY好きの一般人が「自分の空間」を自分で作るためには、まず作りたいものを製作するための工具が必要となります。また、工具を適切に使用するための経験が必要となります。どのように作ればよいかの知識も必要です。今回のブログでは、ポートランドで最近特に開発が進んでいるエリアにある地域において、DIY用の工具・経験・知識を媒介としてコミュニティを作ろうと試みているDIYセンターについて書きたいと思います。
ADX Portlandとは
今回取り上げたのは、ADX Portlandという施設です。
ウェブサイトの冒頭には、
WELCOME TO ADX
ADX is a hub for collaboration where individuals and organizations make and learn. By sharing tools, knowledge, and experience, we’re doing things better – working together. Our makerspace and learning center allow anyone to bring their idea to life. In our 12,000-square foot facility, high-profile designers work alongside students, retirees share their knowledge with novice builders, and entrepreneurs collaborate with hobbyists.ようこそADXへ
ADXは、個人や団体がともに作り学ぶコラボレーションのハブです。工具や知識や経験をシェアすることによって、物事を良い方向へと導きます。ともに作業することによって。私たちの空間であるラーニングセンターでは、だれもがアイデアを持ち込み実現させることができます。12,000平方フィート(1,100㎡)の施設では、注目を浴びているデザイナーが、学生やリタイヤした人の傍らで作業することにより新米と知識を共有し、起業家はアマチュアの趣味人とコラボレーションすることもあります(筆者意訳)。
これはADXを紹介する3分くらいの動画です。
ADXは2011年に発足した団体です。自分自身でモノづくりの文化が広まっていく中で、ツールや作業スペースや知識を共有することを目的に発足されました。今までに100以上のビジネスを作り出し、200以上のクラウドファンディングのプロジェクトを成功させ、何千人ものデザイナー・ビルダー・起業家・趣味人へ場所を提供してきたそうです。
ADX Portland に行く
都市再開発の成功事例として日本でも有名ななパール・ディストリクト(Pearl District)から、ウィラメット川(Willamette River)を隔てた反対側で、この数年で特に開発が進んでいるエリアの一つにあります。2015年9月からStreet Car(路面電車)が、内回りと外回りでループ状に運転するようになり、より便利になりました。
Street Carから降りて歩いていくと、駐車場から見た建物外観が見えてきました。テンション上がります。Google Street Viewで検索してみたら、行った時と異なるアーティストの作品だったので、適宜塗り替えているのでしょう。
回り込むと、ADXの看板が見えてきました。
丸のこの刃を模したADXのロゴマークには、
Building a community of thinkers & makers
意識高い人やモノづくりの人のコミュニティを作る
と書いてあります。実は、モノを作ることそのものが目的ではなく、同じ趣味や意識を持った人たちのコミュニティを作ることが目的であると、ロゴに刻まれています。
その横にはADXを端的に説明した看板がありました。
ADX
Make it yourself (自分で作りましょう)
Learn to make it (作りかたを学びましょう)
Hire us to make it (特注製作もします)
Sign up for a class or membership today! (クラスに予約してメンバーになりましょう)
クラスに入ることによって仲間ができます。作り方を教えられる/教えることによって、関係が生まれます。こうしてモノづくりを中核としたコミュニティが形成されていくわけです。
ADXの中に入る
ドアを開けて中に入ると、各クラスの紹介が書かれています。
Wood Shop (木工)
Jewelry Shop (宝飾)
Metal Shop (金属)
Paint Shop (塗装)
Other (レーザーカッターなど)
Custom Education (特別分野)
といった様々な分野に関するクラスが用意されているようです。
正面に受付がありました。基本的に観光客に開放している場所ではなく、住民のための場所です。予約もせずにいきなり立ち寄り「親戚が入会するかもしれないので、そのために見学させてほしい」と交渉すると、OKとのこと。杓子定規にとらえず、簡単に「良いよ」と言ってもらえるのが、ポートランドの良いところです。気の良い人が多いです。
担当の方に案内していただきました。
まずはデジタル・ファブリケーションエリアです。(全景ではないです。)
PCが数台と大型プロッター、レーザーカッターやCNCルーターもありました。PCにはAdobe Creative CloudやAutodesk Fusionといったソフトウエアがインストールされています。高額なソフトウエアや機材を、こうしてシェアして使うことができると、アマチュアの人々のハードルが下がり、利用者のすそ野が広がります。Autodeskが協賛しているようで、サインが掲げてありました。
シルクスクリーンなどができるペイントエリアを抜けると、大きなレンタルスペースエリアに入ります。それぞれ大きさに区切られ、各自思い思いのものを製作していきます。アマチュアの趣味人もいれば、プロの人もいるようです。この場で自社製品づくりに励み、ビジネスが成功して独立していく人も多くいると聞きました。
写真左側に写っている、売店です。小物をいろいろと販売しているようで、この空間内で人々の集まるハブになっているようでした。集中してモノづくりに励み、疲れると集まってきて談笑する感じでしょうか。
ガラス細工に専念する人もいます。
寄木細工の球体を作っているおじいさんもいます。楽しそうですね。
ここから先は、金属エリアです。安全靴を履いていないので、外から中をのぞくことしかできませんでした。様々な機械が置いてあります。
次は木工エリアです。ここから先は、つま先の空いた靴を履いている人は入ることはできません。歩くことができるエリアが限定されます。
Table Saw テーブルソー(卓上丸鋸)です。気を許すと平気で指が飛んでいくので、最新の注意が必要です。大学院時代、徹夜で模型を作っていて指を落としたクラスメイトがいました。。。
木工エリアの外には廃材置き場がありました。皆でこうして不要になった材料を共有しています。工具や知識だけでなく、不要となった材料もシェアします。
次は、宝飾エリアです。リングやネックレスのような細かい宝飾品の作業をしています。彫金を行うような細かい作業ができるツールがいろいろと置いてあります。
気になるお値段は?
美大や工学系の大学に所属している人は学校の施設が使えます。しかし一度社会に出ると、なかなかこれだけの工具やスペースを確保するのは難しいですよね。
気になるお値段ですが、使い放題のメンバーシップは$200/月、最低限の基本メンバーシップは$75/月とのことでした。最低限のコースでも、コーヒーや電動ではない基本工具やデジタルラボは使い放題だそうです。モノ作りが好きな人だったら、近所にこのような施設がありモノづくりの趣味を共有する友人関係も増えるのだったら、ぜひ加入したいと思うのではないでしょうか。
考えたこと
ADXが画期的だと思ったのは、以下の2点です。
1 モノづくりを通じてコミュニティが形成されること
2 モノづくりをビジネスへと結びつけるインキュベーションセンターとしての役割を担っていること
ADXには明確なビジョンがあり、そのビジョンを達成している点で、一般的なDIYセンターを超えたサステナブルな組織であるように感じました。単なるクラフト/ファブリケーション好きのマニアだけが集まる場ではありません。米国さらにはポートランド自体がモノづくりに親和性が高いお土地柄なのですが、その土地の持つ性格と施設とが、見事に融和しているように見えました。
身の回りの小物や家具を自分で作ること、さらにそれらで自分の住空間を彩ること、つまり「自分の手あかが住宅に刻み込む」ことができる機会に恵まれている日本人は、どのくらいいるのでしょうか。単なる消費財には、人の思い入れが入り込む余地が少ないと考えます。住まい手が「自分の空間」に対して気軽に手を入れることができるようになれば、より思い入れや愛着も深まるでしょう。
以前「木造住宅の耐用年数は何年が適切なのか? -住宅を末永く維持管理して使うために-」というブログを書きました。木造住宅が簡単に壊されてしまうことについて考えを書いたのですが、実は、住宅に対する思い入れや愛着が深まることが、住宅を単なる消費財として扱わなくなることにつながり、そのような考え方が文化的に定着することが、住宅が長持ちする秘訣なのではないかと、ADXを訪れてふと考えました。