風情のある和風の木造住宅が取り壊され、敷地が分割され、数軒分の狭小住宅に建て替わるのを目にします。これらの木造住宅には、断熱性能や耐震性能を始めとして多くの問題があることは理解できるのですが、経済性・機能性を売りにしたサイディング仕上げの建売住宅に建て替えられているのを見るのは、まち並み景観上かなり寂しい気がします。そこで今回のブログでは、建築物不燃化の経緯と景観問題との関係についてざっくり調べてみることにしました。
江戸時代
まずは、江戸時代までさかのぼりましょう。火事が近隣であった場合、壁や軒裏、あるいは屋根へと火の粉が飛んできます。特に屋根には遠くから飛び火する可能性が高いのですが、屋根葺き材が茅葺・藁葺・板葺といった燃える素材の場合、特に乾燥した冬では簡単に燃焼してしまいます。
瓦葺の使用が命じられるようになったのは、徳川吉宗の治世に入ってからであった。武家屋敷に対しては享保8年(1723年)に、番町付近で焼失した旗本屋敷の再建に瓦葺の使用を命じ、費用の補助として禄高に応じた拝借金も出している。享保10年(1725年)ごろからは、地域限定ではあったが既存の屋敷に対しても瓦葺への改築が命じられるようになる。瓦葺が義務づけられた地域は拡大していき、瓦葺にしない屋敷は取り壊すという警告も出された。町家に対しては、享保5年(1720年)の町触で瓦葺の禁令を否定し、今後は瓦葺を使用して構わないとした。享保7年(1722年)からは江戸市中の各所で瓦葺・土蔵造り・塗り屋(外部に土を塗った建物)の使用を命じるようになった。町人の負担を考慮し、瓦葺ではなくかきがら葺の使用が許可された例もある。対象となった町に対しては、公役金の免除や拝借金の提供を行い、実行していない家屋の除去を予告するなど、町家の不燃化を推進した。
吉宗の意向を受け、幕府主導で実行された江戸市中の不燃化であったが、寛延4年(1751年)に吉宗が死去すると、幕府の財政窮乏などもあり積極的な推進策が行なわれなくなった。そのため江戸市中の不燃化は完成せず、以後も明治維新を迎えるまで幾度も大火が発生する要因となった。(Wikipediaより)
瓦は飛鳥時代に仏教と共に中国から伝来し、以来、寺社を始めとして城郭や大名屋敷などでも使われるようになりました。瓦が町屋の屋根葺き材として流行していた時期もあるようですが、瓦の屋根葺き材と土壁によって、幕府が不燃化を正式に命じるようになったのは1720年代からのようです。政府が補助金を出して不燃化を推進すること、また補助金が切れると進まなくなることは、現在でも変わらないみたいですね。
明治時代
明治時代に入っても頻繁に火事が発生していたようです。なかでも銀座大火は有名です。
銀座大火(ぎんざたいか)は、1872年(明治5年)に東京で発生した大火災である。折からの強風にあおられ東京の中心地丸の内、銀座、築地一帯が焼失した。これをきっかけに、明治新政府は銀座を耐火構造の西洋風の街路へと改造することとなった。(Wikipediaより)
これを機に都市改造が行われ、銀座通り一帯の街区が整理され道路が広くなり、煉瓦造りの不燃建築物によって銀座が生まれ変わることになります。このように抜本的な不燃化が行われたのは東京のごく一部に過ぎず、ほとんどの住宅は不燃化とはまだ程遠い状況だったと考えられます。
関東大震災
1923年9月1日に関東大震災がありました。今からおよそ100年近く前の東京では、ほとんどの住宅が木造でした。区画整理も現在ほどは進んでおらず、高密度に建てられた木造住宅が広がっていたと考えられます。震災による死者・行方不明者10万5千人あまりのうち約9万1千人が火災によるものだったそうですが、この地震を境に建物の不燃化が大きく進みます。
大震災ではレンガ造りの建物が倒壊した。また鉄筋コンクリート造りの建物も大震災の少し前から建てられていたものの、建設中の内外ビルディングが倒壊したのをはじめ日本工業倶楽部や丸ノ内ビルヂングなども半壊するなど被害が目立った。そんな中、内藤多仲が設計し震災の3ヶ月前には完成していた日本興業銀行本店は無傷で残ったことから、一挙に耐震建築への関心が高まった。すでに1919年(大正8年)には市街地建築物法が公布され1920年(大正9年)施行されていたが、1924年(大正13年)に法改正が行われ日本で初めての耐震基準が規定された。同法は、後の建築基準法の基となった。
一方で震災では火災による犠牲者が多かったことから、燃えやすい木造建築が密集し狭い路地が入り組んでいた街並みを区画整理し、燃えにくい建物を要所要所に配置し広い道路や公園で延焼を防ぐ「不燃化」が叫ばれるようになった。内藤と対立していた佐野利器らが主張し、後に後藤新平によって帝都復興計画として具体化する。(Wikipediaより)
法規の変遷
建築基準法や消防法は、火災事例を教訓として都度規制項目が付加される改正がなされています。建築基準法および消防法制定から2002年に至る概要がこの表では示されています。
1950年代には、防火区画、防火戸、耐火構造、準不燃・難燃材の規定といった、現在の法規の骨格が既に制定されていることが分かりますね。70年近い蓄積が、現在の建築基準法・消防法を形作っています。
東京都安全条例
建築基準法や消防法といった法律ではなく、市区町村レベルでさらに厳しく規定している場合もあります。東京都には「東京都安全条例」がありますが、2010年に「新たな防火規制」制度が導入され、以来適宜改正されています。
木造密集地域における災害時の安全性を確保するため、東京都では道路等の基盤整備や不燃建築物への建替え助成等の多様な施策を推進している。
これらの諸施策に加え、建築物の不燃化を促進し木造密集地域の再生産を防止するために、東京都建築安全条例を改正し、知事が指定する災害時の危険性が高い地域について、建築物の耐火性能を強化する。制度の内容
・原則として、全ての建築物は、準耐火建築物以上(一定の技術的基準に適合する建築物は除く。)とする。
・そのうち、延べ面積が500平方メートルを超えるものは耐火建築物とする。
今後建替が進むことで、将来は全ての建築物が準耐火構造または耐火構造の建築物になり、地区としての防火性能は大幅に向上することが期待されています。「新たな防火規制の指定区域図」が東京都都市整備局のウェブサイトに掲載されているので、東京都にお住まいの方は一度見てみることをお勧めします。
火災件数の推移
実際の火事事例を教訓として、建築基準法や消防法さらに条例が何度も改正されていますが、実際に火事は減っているのでしょうか?
昭和45年(1970年)から平成21年(2009年)までの40年を比較すると、東京消防庁管内における火災件数は、およそ40%減少していることが分かります。
日本全国においても、平成19年(2007年)から平成28年(2016年)の10年間を比較しても、総火災件数および住宅火災件数とも約30%減少していることが分かります。
全国的に見ても火災は減少傾向にあります。従って、火災事例の検証と法規改正のサイクルは適切に機能していると言えそうです。被害を受けない限りはついつい忘れてしまいそうですが、関係者の方々のこうした絶え間ない努力の積み重ねによって、日々の安全がつくられているわけですね。
火災から人命や財産を守ることは、建築物にとって最重要な機能の一つです。でも一方で、街並みが、経済性・機能性を売りにしたサイディング仕上げの建売住宅で埋め尽くされるのを見るのはとても残念な気がします。
景観上の問題
木造密集市街地の歴史的景観を観光資源としている場合が多々あります。この場合、かならずしも建築基準法や消防法を一律に適用させることは不適切かもしれません。不燃化して安全な街にすることと、景観上美しい街にすることの綱引きが発生します。ここでは東京における「歴史的木造密集市街地」として谷中について触れたいと思います。
平成22年には、国土交通省により「歴史的木造密集市街地における景観に配慮した地震時大火対策の方策検討調査」がなされています。歴史的市街地として66地区、漁村を37地区選定し、景観とまち並みの骨格から6類型を抽出、①奈良県橿原市北八木地区、②京都市柏野地区、③京都市仁和地区、④東京都台東区谷中地区、⑤富山県射水市放生津地区の5地区のGISデータを構築・調整し危険度を評価しています。
東京では台東区谷中地区が対象となり、「網筋・連続・不整形街区」として分類されています。谷中地区は昭和初期までに周辺地区にやや遅れてスプロール的に市街地化されました。地区内を囲む道路は4~6m幅員が確保されているものの、街区内部はほとんどが4m未満の道路で構成され、袋路も多く、接道条件を満たしていない家屋も多くあるのが特徴です。谷中・根津・千駄木をあわせ谷根千と呼ばれ、週末になると多くの人でにぎわいます。
こうして見てみると、多くの建物が築30年以上であり袋路で構成される木造密集市街地であることが分かります。
「歴史的木造密集市街地における景観に 配慮した地震時大火対策の方策検討調査」では、延焼危険度、建物倒壊率、道路閉塞確立を算出したうえで、避難活動困難度、救出活動困難度、消火活動困難度を算出しています。
結果:建物密度が高いうえに、道路幅員も4m未満が多いことから、延焼危険度が高く、避難活動の困難度も高いことが判明した。
密集市街地区に、危険度ランク4以上の街区が複数存在しており、延焼の可能性が高いことが示されています。
地区内に細街路が多いことを反映し、街区内道路が閉塞しており、避難場所への到達を困難にしています。また消防車が浸入可能な幅を確保することは、密集地区内ではほぼ不可能となっています。
景観等を配慮した密集市街地での目標設定と取り組みイメージ
「歴史的木造密集市街地における景観に 配慮した地震時大火対策の方策検討調査」では、これまでに最低限の安全性が確保された地区の多くは、道路整備や建物の不燃化を中心とした取り組みが行われてきたことを指摘しつつ、取り組みが遅れている地区では、全般的に財政や人材の不足が大きな課題としてあることを認めています。さらに、歴史的景観やコミュニティなどへの考慮が必要な地区では、地区の目標設定自体が立て難く、取り組みにめどが立たない状況も生まれていると述べています。こうした背景のもと、谷中地区を今度後のようにしていくべきか取り組みの指針が示されていました。
特徴:路地等による風情やコミュニティは残されているものの、歴史的な建物の集積はない。
目標設定:アンコの避難経路を確保しつつ、まず、ガワを形成する。
(国土交通省のサイトより)
この台東1地区のように、地区の骨格が形成されていない「不整形街区」には、初期目標として延焼防止と避難の機能を持った骨格を形成すること、さらに街区内部は路地の生活風景やコミュニティなどを継承しつつ避難路までの避難安全性を確保すること、を推奨しています。
まとめ
全国一律の不燃化一辺倒では、景観やコミュニティが壊されてしまいます。国交省や各市町村でもこの問題は認識されているようでした。まとめとして、
・建築基準法・消防法の改正により火災件数は減少している。
・景観やコミュニティについて考慮する必要がある地区には個別に目標が設定されている
構造体や外壁に木材を使い、どのように法的安全基準をクリアできるかについては、別途整理していく予定です。