永田町のエスカレーター
交通量の激しい都内のエスカレーターには、手すりにつかまることを推奨するポスターが貼ってあります。それも、JR・地下鉄・私鉄といった公共交通機関のみならず、ショッピングモールでも見かけるようになりました。
例えば、半蔵門線永田町駅エスカレーターには、工事用仮囲いに、「ご存知でしたか?エスカレーターの安全な乗り方」と題してこんなポスターが貼ってあります。
しかしながら、皆さんご存知のように、朝の永田町駅は大変混雑して、エスカレーター上部では、皆列をなして並んでいます。それも、左側は歩行しない側、右側は歩行する側として半蔵門線のホームに向かいます。このごちゃごちゃした列を、半蔵門線ホームから上がってきて、南北線に乗り換える人が横切ります(分かる人には分かりますよね、この状況)。こうした殺気立った人々の流れを調整する係員さんや駅員さんも大変そうです。
この状況は、交通量によって異なるわけではありません。例えば、午後のあまり混んでいない時間でも、全員が左側に立ち、右側は歩く人のために空けてあります。
ちなみに関西はこの逆で、人は右側に立ち左側は歩く人のために空けてあるそうですが、片側を開けて歩行者にゆずる習慣に違いはありませんよね。
このように至る所で広告しているにもかかわらず、利用者は全く守っていません。先程の永田町駅でも手すりにつかまらずに歩いている人の取り締まりをしている係員さんや駅員さんを、少なくとも自分は見たことがありません。つまり、利用者・係員・駅員全てが一体となって、広告を無視しているわけです。
言行不一致の気持ち悪さは、歩行に関することばかりではありません。ベビーカーもエスカレーターに載せてはいけないことになっていますが、エレベーターが全ての駅に完備されているわけではないので、結果的にエスカレーターに乗せることも黙認されています。私もベビーカーを何度もエスカレーターに乗せて運んだことがあります。。。
なぜ啓蒙活動をしなければならないのか
ここで疑問に思うのは、なぜこのような広告を出して啓蒙活動をしなければならないのかということです。一般社団法人日本エレベーター協会のサイトを調べてみました。
さらに、「FAQ(よくあるお問合せ)」には、
Q エスカレーターは、走ったり歩いたりしてはいけないのはなぜですか?
A 他の人にぶつかって転倒させてしまったり、また自らも転倒などしてケガをしてしまうことがあるからです。
といった回答が乗っていました。協会の理念として「私たちは、昇降機事業の健全な発展と利用者の方々の安全確保にむけて、社会的使命を果たしてまいります」と書いてあるので、その通りの回答ですね。
それでは実際に事故はどの程度発生しているのでしょうか。東京消防庁は、エスカレーターに関して発生する事故について、専門的見地に基づく分析を行い、事故の減少を図り、都民生活の安全向上のため、学識経験者関係機関の代表等で構成する「エスカレーターに係わる事故防止対策検討委員会」を平成16年7月に設置し、各種の調査等を実施するとともに、事故防止対策等について検討してきたそうです。その報告書の調査では、
平成16年3月に東京都港区で発生した自動回転ドアによる死亡事故を受け、平成15年1月1日から平成16年3月31日まで間に、東京消防庁管轄区域内において発生した救急事故のうち、自動回転ドア、エスカレーター、エレベーター、遊具など7種の機器に係るものについて調査を行ったところ、それらにより2,177人の方が受傷し、そのうちエスカレーターによるものが1,014人と最も多く発生していることが分かった。
ということです。この調査は、もともとはRヒルズ回転ドア事故がもととなっているのですね。知りませんでした。ちなみにこの事故究明には、失敗学で有名な畑村洋太郎が詳しいリサーチのもと本を出版しています。オススメです。
もう少し細かく見ていきましょう。まずは、年齢区分別事故人員から。高齢者の事故割合が、53.1%を占めるわけですね。運動能力が低下すると、エスカレーターのように動く機械は危険だと言えますね。
それでは、注目の「歩行に関する調査結果」は?
歩行等について
事故事例調査その2では、自らの歩行等による事故が38人(12.1%)、本人が立っている状態で他の歩行者に接触された事故が6人(1.9%)発生しており、また、利用者の意識調査においても歩行を危険と感じている高齢者が268人(61.6%)にのぼり、「子供と手をつないで乗ることができない」などの意見があり、歩行に関する問題も浮かび上がっている。
あれれ?歩行要因の事故は事故全体の14%だけなんですね。思ったより少ないですね。平成15年1月1日から平成16年3月31日まで間、つまり15ヶ月でエスカレーターの事故は1014人。比較のため、東京都で発生した交通事故を見てみると。
平成29年の11ヶ月を対象とすると、1か月あたり負傷者数は34516÷11はおよそ3140人。15ヶ月で44人と、1か月で3140人。自動車の方が圧倒的に危険ですが、だれも自動車を禁止しようとか、自家用車をやめて公共交通機関だけにしようとは言いませんよね。
さらに追加で、歩行を危険と感じている高齢者が61.6%いたことが、記載されています。これだけだと、歩行要因の事故はそれほど多くはないが、高齢者が危険と感じているから歩行を推奨しないとも、読み取ることができますね。
事故調査委員会のレポートでは、荷物との相関関係、酩酊および既往症等との相関関係等も調査されていました。荷物があるとバランスを崩す可能性が高い(特に高齢者)、酩酊しているとバランスを崩す可能性が高い(特に高齢者)という結果が出ていましたたが、予想通りですね。
歴史的背景
そういえば、2,30年前は、まだまだエスカレーターの片側を歩行者用に空ける習慣にはなっていなかった気がします。気になってその習慣の成り立ちを調べてみました。
エスカレーターという新文化も、登場して時がたつにつれて、その使い方が決まってきた。右側に立ち、左側を空ける片側空けが世界で初めて行われたのはロンドンの地下鉄駅といわれるが、いつ、どんなきっかけで始まったのかは明確になっておらず、1944年ころ混雑緩和のために公務員が思いついたという説が挙げられているだけである。
その後片側空けは欧米各国に、さらにアジアにも広がり、現在世界ではイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ハンガリーなどのヨーロッパ諸国、アメリカ、アジアでも香港、台湾、中国、韓国などが右立ち、左空けで、圧倒的に多い。
他方の左立ち、右空けは東京を中心とした日本各地の他には、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドなどで行われている。
なるほど。日本独自ではなく、海外から輸入された習慣なのですね。つまり、少なくとも「経済的合理性」はあるということだといえるでしょう。そうでなければ、ここまで世界中にこの習慣は広がらないですよね。
ネットでの論調
以前「左側・右側の両側に立っていたところ、後ろの人から『邪魔だ!』と言われてトラブルになった」というニュースを読んだことがあります。どちらにも言い分があると思います。ちなみにネットではどのような意見が存在しているのでしょうか。
歩行容認派
・急いでいるときに歩くことができる
・世界的に受け入れられている歩行禁止派
・ 危険
・ 事故が起こる
・ 高齢者や障碍者に配慮すべき
どちらかの意見が100%正しいということはなさそうですね。以下、私の見解を述べたいと思います。
①エスカレータ―の場合「製造者」「管理者」責任の追及は筋違い
消費者・利用者保護の観点から、製造者・管理者責任が強く求められるようになっています。Rヒルズ回転ドア事故のように、製造者・管理者責任は追及されるべきです。一方で、責任追及が行き過ぎると、円滑な社会生活が営めなくなります。ここまで大規模にキャンペーンしている背景には、純粋に事故を減らすとともに、責任を問われるリスクヘッジをしているように思えます。
私は、米国に比べ日本は「自己責任」の視点が弱いと考えています。「お上が守ってくれる」「お上の言うことにさえ従っていればよい」として「自分で考えることを放棄する」あるいは「自分で考えることができないと思いこまされてしまう」ことが、結果的に「自己責任」を放棄することにつながります。
もしエスカレーターで歩いて事故にあったときは、その人の自己責任です。「製造者」や「管理者」を訴えるのは筋違いです。事故にあいたくない人は、ベルトにつかまって立っていればよいのです。「本人が立っている状態で他の歩行者に接触された事故が6人(1.9%)」の1.9%は、先ほどの交通事故統計の例や、社会的にしみついているいる慣習であることを考えると、誤差の範囲ではないでしょうか。階段であっても、巻き込まれて事故にあう人はいるでしょう。
②選択肢を与えられることの重要性
私は、「選択肢が与えられること」が大変重要だと考えています。
高速道路を考えてみましょう。普通車線は左側で、追い越し車線は右側です。スピードを出して追い抜き車線を走る車は、おそらく事故率が高いでしょう。しかしそれは、追い越し車線を走ることを選択した人の自己責任です。ここで言いたいのは、普通に走りたい人は普通車線を走ればよいし、スピードを出したい人は追い越し車線を走ればよいという、選択肢が与えられていることです。
夫婦別姓を考えてみましょう。1月9日、サイボウズの青野慶久社長(46)ら4人が、「夫婦別姓」を求める裁判を東京地裁に起こしました。ここでも、「夫婦同姓」と「夫婦別姓」の選択肢が与えられることが問われています。
ただし喫煙の場合は少し違うかもしれません。密閉された公共空間で喫煙する場合、他者が望んでいない副流煙吸い込むことになります。「WHOによれば、職場の受動喫煙によって毎年世界でおよそ20万人の労働者の命が奪われている」(Wikipedia)を考えてみると、「喫煙する」選択肢は、喫煙室や私的空間にのみ与えられるべきだと思います。
ここで明らかにしたいのは、「自己責任」で「選択肢」が与えられればなんでもよいわけではありません。あくまでも、「他人を尊重する」ことが前提となります。例えば、大きなカバンを持っている人・杖を突いている高齢者・障碍者を介護している人がエスカレーターに乗っていたら、歩いている人もいったん立ち止まって配慮することが必要だと考えます。
③守ることのできない啓蒙活動はするべきではない
選択肢が与えられることが大切だと思いつつも、もし日本全体においてエスカレーターであることが禁止されれば、それはそれでよいとも考えています。他者を尊重・配慮することは、時に難しいことだからです。しかし中途半端は啓蒙活動をするくらいならば、混乱を避けるためにもやめるべきで、広告代理店を儲けさせているだけでしょう。言い換えると「目的・目標」については同意するものの、その「手段」について疑問があるのです。
730(ナナ・サン・マル、ナナサンマル)とは、沖縄県において日本への復帰6年後の1978年に、自動車の対面交通が右側通行から左側通行に変更することを事前に周知するため実施されたキャンペーン名称であり、実施後はその変更施行自体を指す通称となった。(Wikipediaより)
沖縄では、1978年に自動車の対面交通が右側通行から左側通行に変更されたことをご存じでしょうか。沖縄県の日本復帰を象徴的に示す戦後の一大プロジェクトだったそうですが、混乱を回避するためにソフトとハードの両面から、様々な試みがされたそうです。今回のエスカレーターの件はここまで大きな話ではありませんが、どうせやるならばこのレベルまで本気を出すべきなのではないでしょうか?
まとめ
エスカレータ―の事例から考えたことは以下3点。
「製造者」「管理者」責任の追及ではなく自己責任の徹底
選択肢が与えられること(他者尊重を前提で)
守ることのできない啓蒙活動はするべきではない
実行可能性が少ない啓蒙活動を行うとかえって混乱を生じます。朝の永田町駅で実行できるとは到底思えません。この慣習が世界的に広がっていることからも、おそらくこのような啓蒙活動を行う合理性がないのではないかと考えます。
必要な啓蒙活動は、「手すりにつかまり歩かない」ではなく「歩いても良いが、手すりにつかまり立っている人を尊重しましょう」なのではないでしょうか。現実に即していない啓蒙活動は、時間とお金の無駄だと考えます。
平成48(2036)年に33.3%で3人に1人となる。54(2042)年以降は高齢者人口が減少に転じても高齢化率は上昇傾向にあり、77(2065)年には38.4%に達して、国民の約2.6人に1人が65歳以上の高齢者となる社会が到来すると推計されている。(内閣府ウェブサイトより)
そう言っているさなか、将来高齢者が爆増します。また、自分もいずれ高齢者となるわけで、エスカレーターに乗ることが怖いと思うようになるのでしょう。そのころには、エスカレーターではない移動手段が確立されているかもしれません。
バリアフリーと効率化のジレンマが感じられるトピックでした。